その場所にがんができた意味
がんができた場所についての意味は、分野ごとに色々な解釈があります。
よく聞くのは、タバコを吸う人に肺がんが、肉食の人に大腸がんが多い など。
「病気はメッセージ」という視点に立ったスピリチュアル的な解釈では、女性性に問題があると乳がんや子宮がんになりやすい。
そう言われています。
他のがんについても全て場所によって違う意味があり、これについてはルイーズ・L・ヘイさんの「ライフヒーリング」という本に詳しく載っています。
女性らしく生きることを苦手とし、男性のように生きてきた側面を否定できない私としては、一見、この解釈は合っているように思います。
でも、これは一つのカテゴライズされた解釈であって、その場所にできたがんの意味は、本来個体差がかなりあると思うのです。
例えば、診断テストなどで赤を選ぶと「赤を選んだあなたは活発で情熱的な人!」なんて結果になったりしますが、そうとばかりは言えません。
Aさんは「私は何事にも積極的で赤を身につけるとさらにやる気がでるわ!」
と、元々エネルギッシュで自分の質に近い性質を持つ赤を選びました。
Bさんは「もう何もかも疲れて動きたくない。せめて赤を身につけて少しでも元気になろう。」
と、エネルギーが枯渇していて、それを補うために赤を選びました。
同じ赤を選んだ2人だけれど、性格も赤の意味も異なります。
これと同じで、がんのできた場所の意味も、他の人と同じカテゴリーにくくることができない、その人だけの固有の意味があると思うのです。
人によって違う。
私だけの意味があるはず。
そんな視点で自分自身に問いかけてみました。
女性性の問題だとして、どうして乳がんでなく子宮がんだったのか。
どうして、手術で取りきれないほど大きくなるまで見過ごしてきたのか。
繰り返し問いかけ、予想できていた表面的な理由が出尽くした頃、予想外の、というか見たくなかった答えに行き着きました。
過去の封印していた記憶が蘇り、とてつもない罪悪感と自分への嫌悪感が湧き上がりました。
(こんなものをお腹に抱えて生きてたんだ。)
(私は私を罰したかったんだ。)
耳触りのいい言葉や頭だけわかった気になる知識では、決して辿り着けなかった答え。
私が長い間、ずーっと育ててきた感情でした。
実は、お医者さんに「もう手術で取りきれる段階は過ぎています。」
と言われた時、瞬間的に「命は短いけど死ぬまで子宮といられるんだ」と、ほっとした感情も出てきたんです。
余命宣告までされているのに(笑)
それは、赤ちゃんがお腹にいるのと近い感覚でした。
その時はどうしてそんな気持ちになるのか分からず、自分の不可解な感情すら、なかったことにしていました。
今考えると、お腹の中で長い間育ててきて、すでに擬人化されている「罪悪感という感情」。
それを切り離されることが、私にとっての一番の恐怖だったのではないかと思います。
忘れたくて忘れたくない。
許したくて許したくない。
許されたくて許されたくない。
人間の感情って不条理ですね。
今の私はどうかというと、もう、罪悪感は十分味わったので飽きました(笑)
でも、相変わらず闘病とかがんに打ち勝つ!などのフレーズには全くピンと来ず。
自分自身が育てたがんに対して、敵視はできないままです。
ちなみに、よく「がんにありがとう!」と感謝することを勧める考え方にも出会いますが、特に感謝する気もなしです。
やっぱりない方がいいし(笑)
ただ、なるべく穏やかに共存できたらとは思っています。
余命宣告的には2年前にすでに死んでるので、これからのことは神のみぞ知る。
私はただ、今のおまけ人生を「終了」と告げられるその時まで楽しみたいのです。
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