いきてみた

「来年は無理でしょう。」との余命宣告を受けてから、2年が経ちました。がんと付き合いながらのゆるい日常を描いています。

2018.7.21

◯朝


ヨーグルト

アイスカフェオレ


◯昼


りんご緑茶

井村屋あずきバー

グラノーラ


◯夜


とうもろこし

麦茶

雪の宿煎餅


◯その他


ミルクパウダー

C

漢方

ビタミンB

EPA

ラックビー、ビオスリー

おはらい玉

ロキソニン、レバミピド

還元ボトル(りんご緑茶使用)

ワン酵素ミネラルケイ素レモン水


☆今日の体調


36.7℃

46.5㎏


午前中トイレ掃除を徹底的にした。

滞在時間が長いから少しでも快適に。


昨日の寝しなに飲んだおはらい玉が午後から少し効いてきたけど、昨日一日中便秘で出なかったから固くて大変。


生理二日目で下腹部痛もあるので、夜まで待たずに早々にお昼前にロキソニン。

(普段は夕方か夜に一回だけ使うことが多いが今日は昼と夜の2回)



がん告知から今までのまとめ

がんになってからの心の動きや考え方について

時系列でまとめてみました。


・生きてみた(自己紹介)

https://ikitemita.muragon.com/entry/1.html


・見ないふり

https://ikitemita.muragon.com/entry/2.html


・いざ、婦人科へ

https://ikitemita.muragon.com/entry/3.html


・朝の電話

https://ikitemita.muragon.com/entry/5.html


・プライベートスイッチ

https://ikitemita.muragon.com/entry/6.html


・イタイ検査再び

https://ikitemita.muragon.com/entry/7.html


・そもそも

https://ikitemita.muragon.com/entry/9.html


・ドラマと違う

https://ikitemita.muragon.com/entry/10.html


・行きたくない

https://ikitemita.muragon.com/entry/11.html


・模索期の迷走

https://ikitemita.muragon.com/entry/12.html


・模索期の終わり

https://ikitemita.muragon.com/entry/17.html


・今も続いている健康法

https://ikitemita.muragon.com/entry/18.html


・がんの性質は自分の性質?

https://ikitemita.muragon.com/entry/47.html


・その場所にがんができた意味

https://ikitemita.muragon.com/entry/50.html



上記以外の記事は、毎日の体調や食べたものを、ほぼ自分のための記録として書いています。

(題名が日付のみの記事)


これからもがん関係で記事を更新する時はねこ写真を使いますので、読みたい記事を探す目安にしてください。


また、がん関係の記事を更新したらこのページにも載せます。


その場所にがんができた意味

がんができた場所についての意味は、分野ごとに色々な解釈があります。


よく聞くのは、タバコを吸う人に肺がんが、肉食の人に大腸がんが多い など。


「病気はメッセージ」という視点に立ったスピリチュアル的な解釈では、女性性に問題があると乳がんや子宮がんになりやすい。


そう言われています。


他のがんについても全て場所によって違う意味があり、これについてはルイーズ・L・ヘイさんの「ライフヒーリング」という本に詳しく載っています。


女性らしく生きることを苦手とし、男性のように生きてきた側面を否定できない私としては、一見、この解釈は合っているように思います。


でも、これは一つのカテゴライズされた解釈であって、その場所にできたがんの意味は、本来個体差がかなりあると思うのです。


例えば、診断テストなどで赤を選ぶと「赤を選んだあなたは活発で情熱的な人!」なんて結果になったりしますが、そうとばかりは言えません。


Aさんは「私は何事にも積極的で赤を身につけるとさらにやる気がでるわ!」


と、元々エネルギッシュで自分の質に近い性質を持つ赤を選びました。


Bさんは「もう何もかも疲れて動きたくない。せめて赤を身につけて少しでも元気になろう。」


と、エネルギーが枯渇していて、それを補うために赤を選びました。


同じ赤を選んだ2人だけれど、性格も赤の意味も異なります。


これと同じで、がんのできた場所の意味も、他の人と同じカテゴリーにくくることができない、その人だけの固有の意味があると思うのです。


人によって違う。

私だけの意味があるはず。


そんな視点で自分自身に問いかけてみました。


女性性の問題だとして、どうして乳がんでなく子宮がんだったのか。


どうして、手術で取りきれないほど大きくなるまで見過ごしてきたのか。




繰り返し問いかけ、予想できていた表面的な理由が出尽くした頃、予想外の、というか見たくなかった答えに行き着きました。



過去の封印していた記憶が蘇り、とてつもない罪悪感と自分への嫌悪感が湧き上がりました。


(こんなものをお腹に抱えて生きてたんだ。)


(私は私を罰したかったんだ。)




耳触りのいい言葉や頭だけわかった気になる知識では、決して辿り着けなかった答え。


私が長い間、ずーっと育ててきた感情でした。



実は、お医者さんに「もう手術で取りきれる段階は過ぎています。」

と言われた時、瞬間的に「命は短いけど死ぬまで子宮といられるんだ」と、ほっとした感情も出てきたんです。

余命宣告までされているのに(笑)


それは、赤ちゃんがお腹にいるのと近い感覚でした。


その時はどうしてそんな気持ちになるのか分からず、自分の不可解な感情すら、なかったことにしていました。


今考えると、お腹の中で長い間育ててきて、すでに擬人化されている「罪悪感という感情」。


それを切り離されることが、私にとっての一番の恐怖だったのではないかと思います。


忘れたくて忘れたくない。

許したくて許したくない。

許されたくて許されたくない。



人間の感情って不条理ですね。



今の私はどうかというと、もう、罪悪感は十分味わったので飽きました(笑)


でも、相変わらず闘病とかがんに打ち勝つ!などのフレーズには全くピンと来ず。


自分自身が育てたがんに対して、敵視はできないままです。


ちなみに、よく「がんにありがとう!」と感謝することを勧める考え方にも出会いますが、特に感謝する気もなしです。

やっぱりない方がいいし(笑)


ただ、なるべく穏やかに共存できたらとは思っています。


余命宣告的には2年前にすでに死んでるので、これからのことは神のみぞ知る。


私はただ、今のおまけ人生を「終了」と告げられるその時まで楽しみたいのです。